ウラガワなんていらないさ

気分です。ポエマティックです。テクマクマヤコン。

アイドルをみると涙がこみあげてくる理由

 

生でアイドルをみるとどきどきして涙があふれてくることがよくある。

煌めきなのかな、会えた喜びなのかな、世界が違うと見せつけられた悲しさなのかな、なんか違う。

いつも幕が上がると同時にこみあげてきたりする。

その理由が少し分かったような気がする文章を、この前読むことができた。

 

 

Hanakoで「りぼんにお願い」というエッセイを連載している川上未映子さんの文章たち。川上さんが自身のサイン会で体験して、感じたお話。たぶん。

 

 

だいたいは女の子で、手紙や小さな花束を渡してくれて、がんばってください、と言ってしまうと、あとはもう、とめどめなく涙が出てくる。それを見て、わたしも思わず泣いてしまう。彼女がどうして泣いているのか、その本当のところわからないんだけど、でも、その涙の本当のところはきっと「愛読している本の筆者に会えたからではない」と思うんだよね。つまり読書というのは、どこまでも言葉と自分の心との何かしらの行き来であり、運動で、彼女が思わず書き手を前にして泣いてしまうのは、そのご自身の日々の感受性の運動のなんというか純粋な余波みたいなものなんじゃないかと思うのだ。

 

本とかサイン会とか筆者というのは小さなきっかけで、いま自分が一生懸命に生きているっていうことになんというか、体が反応するんじゃないかと思う。いつもははりつめているせいでわからないけれど、きっと、こうした機会に一気に感情がこぼれてしまうのだ。そういう涙のような気がする。

 

 

これなんだなあ、と読んで感じた。ここでいう読書や本、筆者というのはわたしにとってのアイドルであり、いつも正しくいることが正しいと歌ってくれるアイドルソング。

どうしてアイドルを目の前にする、例えばコンサートとか、舞台とかで涙が出てきてしまうのか、それは、わたしが言うのもおかしいかもしれないけれど、きっとわたしなりに毎日を一生懸命生きているからだと思う。同じ場所ですぐそこにいる生きている生身のアイドルを見ながら本当のわたしと対面しているのかもしれない。

わたしにとって自分と会話をすることはとても苦痛で、楽しいことだけ考えて、していたい。そうではなくなったとき、つらくて苦しい場面にあってしまったときいつもアイドルの力を借りていたなあ、と思う。そのとき、そこに頑張れって言ってくれる存在とか、支えになるような存在がいていてくれるだけで心が軽くなる。頼っているけど、決めるのは自分で、依存じゃないはず。

 

 

いま全力で、その一回切りを一生懸命に生きている若い人たち。楽しいことが、たくさんありますように。毎日がそうじゃなくても、元気で笑える日が、一日でも多くありますように。どうか、がんばって。がんばって。

 

 

最後にこう締めくくっていた。ずっと心の片隅にあった問題がすっと解決したような気がして思わず、これまた涙がにじんだ。

泣いてしまう理由は、煌めきであり、会えた喜びであり、世界が違うと見せつけられた悲しさもあるかもしれない。けれど、わたしにとっては、本当の自分と会ってしまって、よく分からない感情になってしまうから涙が出るのだと思う。

「涙が出るのは、自分の感情がどこか分からないから」と友人は言っていた。そうかもしれない。喜怒哀楽ぜんぶに当てはまらなくて、ぜんぶに当てはまるような気持ち。

だからどきどきして、泣いてしまう。

 

去年、嵐のコンサートに行ったとき最後の挨拶で櫻井翔くんがこんなことを言っていた。「嫌なことも良いこともあるかもしれない、明日からまた頑張ろう」って。ニュアンスだけど。悪い日が続くのも、良い日が続くのもどっちも悪くないんだ。頑張ることは大切だけど、たぶんそれなりのほどほどでいい。苦しいことを良いとしちゃだめなんだなあ。

わたしが大好きで応援している人の言葉には力がある。アイドルの言う「頑張って」はもしかしたらどこかにいる知らない本当のわたしから言われてる「頑張って」で、だからこそ最後の最後、幕が締まるとき、挨拶のときに、また涙が出てきてしまうのかもしれない。

 

 

 

Hanako(ハナコ) 2015年 11/26 号 [雑誌]

Hanako(ハナコ) 2015年 11/26 号 [雑誌]

 

 

りぼんにお願い

りぼんにお願い

 

これまでの連載をまとめたエッセイ集。とってもかわいくてくすぐったいお話がたくさん載ってるヨ。