ウラガワなんていらないさ

気分です。ポエマティックです。テクマクマヤコン。

なだれ

 

コーイチくんが超特急からいなくなる、その日から1ヶ月が経とうとしている。

 

ひとつのことを書こうとしたらなだれみたいに、たくさん落ちてきた。

気持ちのせき止めのため。

 

 

この数日、わたしは少し前の、誰かの隣にいた誰かがいなくなったことを思い出していた。

きっとああいう風に、なんとなく、誰かがいなければいけない場所に立たないこと、に、その誰かにとって他人のわたしは慣れていくのだと思う。きっと、こちらが知らなくていい理由でいなくなるのだろう、そう思うことにしている。だからだ。

贔屓にしているメンバーの隣にいる、コーイチくんが大好きだった。そのコーイチくんの隣にいるあの子のことも大好きだった。だから少し前、2年前のように、いつのまにかいなくなってしまったことを思い出したのだと思う。

コーイチくんはメンバーの中でいちばん、あの子のことを分かってくれているようだった。ふたりとも種類の違う不器用さ、繊細さがあって、ふたりだったら陰にも陽にもなれるみたいだったな、と今でも思う。ふたりでいたら絶対に傷つかなさそうだった。きれいなまま。傷がついてもふたりでいたらすぐ修復できそうな安心感。だから双子のようだったし、一方が泣いているとき一方は笑っていたりした。

その子はコーイチくんへのブログでコーイチくんのことを「本当の僕の父さんみたいだった」と言った。それに涙が止まらなかった、のは、こんなときにも滲み出てしまう生まれ持った優しさからのありがとうという感謝の気持ち、だけではなく、それ以外の、複雑な、暗い、いろんな、気持ちを読み取ってしまいそうだったから、悲しくて寂しくて怖くてかわいそうだったから。わたしはその気持ちをきっと知らない、その気持ちはその子に似ているようなコーイチくんにしか分からなさそうだった。

そんな強くも弱くもなれる、ふたりが大好きだった。そのふたりのことをわたしは"いちろく"と呼んでいた。何度も言うけど大好きだった。大好きで大好きで大好きだった。

 

早くても遅くても、いつか笑ってまた再会そう絶対してほしい。会いたくなかったら会わなくてもいいんだけど。でもそのふたりでいる雰囲気が好きだったわたしは「コーちゃん」「ユースケ」と呼び合う時間がまたあってほしいと願ってしまうのだ。

 

 

あれからめまぐるしくいろんなことがあって、ひとりで立つ吉野晃一くんに希望をもったり、絶望したりした。わたしは超特急を好きになった頃、コーイチくんは超特急である自分をあまりよく思っていないんじゃないかと感じていた。おととしのクリスマスワンマンショーの感想にも書いている。

けれど、そのおととし、涙を流しながら「超特急は未来だ」とコーイチくんが言ったことに、驚き、それだけが理由ではないけれど、なんとなく生きづらそうなコーイチくんが愛を語ることについて、自分の日々のちょっとうまくいかないことを重ねて、おいおい泣いてしまったのだった。それからコーイチくんの言葉がすごいことに気づき、うたうたいにも足を運んだ。

わたしはそのコーイチくんからたまに発せられる「俺のやりたいことはこういうことじゃないんだよ、でもやってやるんだ」というようなメッセージが好きで、でもそれは、贅沢な葛藤をしているコーイチくんが奏でるから好きだった。

これから吉野という、コーイチではない吉野、吉野晃一、ひとり、でやっていく歌や表情を見てわたしはどう感じるのかな、と思っている。楽しいな、やっぱり吉野の曲好きだな、と思うのか、逆か。

きっと吉野晃一としての価値は、その吉野に見合った人や似合った人が評価し、もうわたしとは別の世界なのだから、わたしは心配することではないし、きっと吉野もそれを求めてたりはしていないはずだ。でも、コーイチが好きだったわたしはやっぱり心配だし「コーイチくんすごいな」というあのときの感情を否定したくはない。わがまま。ごめんね。いつか然るべき場所に立ち、奏でる吉野にわたしどう感じるのだろう。

 

学生の頃、進路で悩んでいたわたしに近しい人がこんな言葉をかけてくれた。「どの道も正解だから迷うんだよね、でもどの道でもあなたは歩いてるんだよ、もうひとり自分がいたとして、その悩んでる今の自分が選ばなかったほかの道を自分の知らないところで自分が歩いていたとしたら?それはそれで良くない?」ということ。ニュアンス。でも、わたしはそれにとても救われた。それは選ばなかった道を否定しない選択のようだったから。またその道に戻れそうだったし、そっちの道を歩いているだろう他のわたしとも仲良くできそうだったから。

(なんとなく生きづらそうなコーイチくん、吉野は正誤で判断して、なにかをめちゃくちゃに否定してしまいそうだからこの言葉を思い出したりしたんだよ。吉野として生きていくから過去は必要ないのかもしれないけど、わたしのエゴのために記録しておく、のと、もしかしたら仲良くしたくないかもしれないけれど、たまにはコーイチとも仲良くしてね。)

 

7人みんなが好き、そんなグループに出会ったのははじめてだったので、夢から覚めた感じがあり、もしかしてこれはわたしだけが感じている感情ではないのかも、それは例えば6人の超特急もだったら、とぼんやり考えて、やめた。

 

そんな中、昨日はPERFECT VALENTINE2018に行ってきて、メンバー曰く6人体制の船出、を見てきた。途中で黒のペンライトを持っている女の子が笑っていたり、白のペンライトを持っている女の子が泣いていたり、コーイチとコールをする客席、不思議なステージだった。なにかに必死であまり記憶がない。記憶がないくらいに楽しかった、のかもしれないし、心のどこかで6人の超特急を見たくなかったのかもしれない。

でも夢からは覚めていないみたいだった。ここでコーイチくんがいたら、と思った瞬間はあったけれどマイナスの思考ではなく、コーイチくんならどう言ったんだろう、どう歌ったんだろう、ということ。こうして腹をくくった6人の超特急を、強くなります!と叫んでくれたことは覚えているし、うじうじめそめそして応援したくはないし、何年かかるか分からないけど、気持ちのいい場所にいろんなことが落ち着けばいいな、本当に。

 

 

今年、まだ超特急が6人になること、が発表される前、超特急に向けてメッセージノートに気持ちを綴る機会があった。

「7人みなさまに素敵なこと幸せなこと楽しいことが1つでも多くありますように!」

これには、なにも気持ちの変化はない。いろいろ感じたり、思ったり、したし、するんだろうけど、1つでも良いことがあってほしい。青信号でどんどん進めた!とかピザに乗ってたサラミが2つだった!とか。

それぞれの道を歩く7人に今年も1つでも良いこと、があってほしい。

超特急でも、超特急じゃなくても。ね。

 

おわり